■北浅草〜吉原バイク旅(ヤマハ WR250X)
江戸屈指の盛り場の「浅草」。江戸時代、名所番付で別格の横綱だった浅草寺をはじめ花見の名所の墨田川があり、今なお、年中お祭りや市が楽しめる東京きっての名所です。今回は、人気の浅草寺や仲見世等の喧騒から外れて、電車が百貨店の中に吸い込まれていく東武浅草駅より北の、静かで風情のある北浅草をぷらっとツーリングしてみました。
吾妻橋〜東京スカイツリー&某ビール会社のオブジェが並んで見れる人気の景観地です。
まずは、浅草寺脇にある姥ヶ池跡に。昔、老婆が旅人に石を落として殺していたという石枕伝説のある地ですが、今は閑静な公園になっています。
姥ヶ池跡〜現在は花川戸公園になっていて、園内に石碑のみが残っています。
そこから言問通りを挟んであるのが、多くの歌舞伎の芝居小屋が並び江戸町民が集った猿若町です。今で言えば、東京ドームと武道館が並んであるような場所でしたが、今はオフィスビルに挟まれて石碑があるのみ。当時の面影は全くないです。
猿若町跡碑〜道沿いに三座の跡碑があります。
待乳山聖天〜墨田川一望の景勝地。
今戸神社〜新選組の沖田総司、終焉の地。
そして、遊客たちが船に乗って新吉原に通ったという山谷堀に。今は堀も埋め立てられて憩いの場となっています。
山谷堀跡〜現在は埋め立てられて、沿道公園のような憩いの場になっています。
やがて、吉原の遊郭の入口があった、吉原大門交差点に着。
江戸時代初期に、日本橋にあった幕府公許の遊郭がこの地に移り、吉原と呼ばれました。交差点の角には、吉原を後にした客たちが名残惜しんで振り返ったことから名付けられた見返り柳があります。そして、外から遊郭が見えないようにくの字に曲がった五十間道を抜けると、遊女たちが抜け出せないよう堀に囲まれた遊郭への唯一の出入り口だった吉原大門跡に。
まっすぐに伸びたこの道沿いに、当時は引手茶屋が並び、その奥には二百数十件もの姑楼があり、二千人以上もの遊女たちが暮らしていたといいます。幅3.6mの堀に囲まれたこの地で、遊女たちは「生まれては苦界 死しては浄閑寺」と一生を終えたそうです。
□新吉原
1655年に現在の地に移り、江戸の文化やファッションの一端も担ってきました。ただ、過酷な労働と粗食で病死し無縁仏として埋葬された遊女たちは20代が多かったようで、その影も大きいです。尚、幾度もの大火により当時を偲ぶ史跡は少ないですが、ここに江戸随一の通の花街があったことを想像するだに感慨深くなります。
見返り柳〜枯れるたびに植え替えされて、現在の柳は六代目になります。
五十間道〜遊郭への唯一の道。開門を待って、男たちが列をなしたといいます。
吉原大門跡〜当時は黒塗りの木造門。男は通行自由だったそうです。
吉原神社〜浅草七福神。遊郭ゆかりの神社でもあります。
吉原弁財天〜関東大震災の火災時に、多くの遊女たちがここの池に飛び込み溺死したそうです。合掌…。
浄閑寺〜東京メトロ三ノ輪駅近くにあり。吉原の遊女が無縁仏となって埋葬されています。その数は約二万人以上といわれています。
土手の伊勢屋〜有形文化財の行列店。天丼1400円〜。
近くに、「あしたのジョー」が育った所として有名な泪橋があるので寄ってみました。
道沿いに矢吹ジョーの像が立っていて、泪橋という交差点もあり、なんか雰囲気のある場所です。
いろは会商店街〜あしたのジョーの町。観光客は皆無でした。
そして僕は今、このようにバイクに乗ってツーリングを楽しめることを感謝しつつ、吉原界隈を後にしました。
言問橋から東京スカイツリーを望む。