■唐沢山城〜佐野昌綱(スズキ GSR250)

上杉謙信が落とせなかった城

 

戦国最強の武将といいますと、誰を思い出すでしょうか。

 

「覇王」織田信長でしょうか、はたまた「甲斐の虎」の武田信玄でしょうか。

 

いや、手取川の戦いで織田信長軍を破り、川中島の戦いでは武田信玄軍を翻弄させて「軍神」上杉威謙信を挙げる方も多いかもしれません。

 

大きな戦いでは生涯無敗を誇る上杉謙信をもってしても、10度も攻撃をして一度も落とせなかった城、そして、関東の雄たる北条軍をも4度に渡り撃退したのが、この唐沢山城です。

 

 

 

当時の城主の佐野氏第15代当主・佐野昌綱と、その軍勢が粘り強かったのは言うまでもありませんが、この唐沢山城が、天険ながら各所に井戸があり水源に恵まれていたこと、そして、空堀の造成や多数の堀切などにより、外部からの侵入者を容易に近づけさせない山城ならではの強さを持っていたことでしょうか。

 

 


物見やぐらがあった場所からは平野部を見渡すことが出来ます。

 

 


守ることに強い山城で、大切なのは水の確保。唐沢城は、その面でも恵まれていました。

 

 

同城が927年に藤原秀郷によって築城したと伝わっています。。越後の上杉と、相模の北条という二大勢力にちょうど挟まれた場所に位置してし、当初は上杉方についていましたが、後に北条方につき、上杉軍の攻城を受けました。堅牢で難攻不落な同城は、10度に渡る上杉軍の猛攻にも耐えて、関東一の山城と称賛されました。

 

各所に空堀が残っています。

 


高さ8mもある高石垣。関東地方の山城では珍しく、貴重な史跡です。

 

唐沢山城は標高242mの唐沢山の山頂を本丸として広範囲にその跡が残っています。

 

 

 

 

本丸には、唐沢山神社があります。

 

 

 

その後、豊臣方につき、また関ケ原の合戦では徳川方についた佐野氏は、3万5千石の佐野藩主となり、麓に佐野城を築いたため、唐沢山城は廃城となりました。

 

標高200m強の小山ながら、バイクで上る道もタイトでヘアピンが多く、結構辛いものがあり、当時の唐沢山城の堅固さを感じることが出来ます。また、駐車場から直結しています、お城の入口は虎口になっています。

 

 

戦国時代、小勢力ながら、上杉、北条という屈強に挟まれ、また、豊臣、徳川という時代の急な流れに翻弄されながら、うまく流れを読んで生き抜き戦った佐野氏の強さが感じられる城跡です。

 

関東七名城。国史跡です。

 

 

■佐野・唐沢山(スズキGSR250)

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