■神指城~上杉景勝(スズキ GSR250)
上杉家代々の越後(新潟県)から、豊臣秀吉の命により、会津(福島県)へ加増移封された上杉景勝。
対徳川家康、そして伊達政宗へのけん制の意味もあっての移封ではあったが、結果、上杉家は会津120万石の大大名となりました。
そこで従来の会津城が手狭なこともあり、会津治世のために新たに築城を考えられたのが神指城です。
神指城跡周辺
お堀まで含め面積は約55ヘクタールという大きな城になる予定でしたが、1598年に秀吉が死去。
1600年の5月に領内から多くに人夫を動員し築城をはじめますが、7月に徳川家康の会津征伐があり状況が一転します。
※栃木県小山市にある小山評定跡
徳川軍は上杉景勝を討伐するため栃木県の小山市まで進軍をしましたが、西で石田三成が挙兵したと聞き、「このまま上杉を討つか、反転して石田を討つか」と評定を開き、西に向かいます。そして、9月15日に毛利輝元率いる西軍と戦います。これが関ケ原の戦いです。但し、上杉軍は、奥羽で敵対する最上軍や伊達軍との戦いがあり、関ヶ原には参戦しませんでした。
このため、神指城の築城も休工のままとなり、関ヶ原の戦いで徳川家康に敵対する西軍が敗れ、上杉家も西軍に属していたため、神指城の建築について再び竣工されることはありませんでした。
翌1601年の8月に上杉景勝は米沢30万石に移封。建築途中の神指城は、破却されました。
現在は、城内に位置した高瀬のケヤキ(国天然記念物)が小高い丘に残っているのみです。
高瀬のケヤキ
ただ、この辺りは神指町になり、神指が町名として残っているのも、何か感慨深いものがあります。
神指城跡
高瀬のケヤキの近くにありますお寺(福昌寺)です。