アイアム・ヒーロー
高校時代、時間は無限にあるものだと信じていた。
今日が終わっても、翌日には新しい時間が勝手に現れていた。
そんな中、先輩から安く譲ってもらったバイクにはまり、深夜のバイトが終わってからバイクで走り回った。おかげでバイト代はガソリン代と修理代に消えたが、風、スピード、音、カーブ…刺激的な日々を手に入れた。
大学を経て社会人となり、やがてその時に付き合っていた彼女と結婚した。
共働きだったせいか、結婚しても自分の遊ぶ時間はあった。もちろん、妻と二人で共有する時間が増え、自分一人で過ごす時間は減ったが、まだまだ時間を持て余すことが多かった。乗る機会は減ったが、週末や長い休みにはバイクで秘湯や美観を巡った。
しばらくして子供が出来た。なかなか出来ずに諦めていた最中の妻の懐妊に、奇跡だと、夫婦で喜んだ。
妻が妊娠してからバイクには乗らなくなった。
何かあったらいけないと妻の代わりに家事を行い、週末は妻と一緒にデパートに行って、乳児洋品を見ながら二人ではしゃいだ。
やがて、娘が産まれ、人生初めての育児に勤しんだ。ミルク、抱っこ、沐浴、夜泣き、オシメ替えなどなど、不慣れで大変だったが、楽しい時間を過ごした。バイクは、全く乗らなくなってしまった。自分の時間がまったく無くなり、また、休みにバイクに乗る気力も体力も無かった。そして、娘の洋服代を捻出するためにバイクを売った。バイクと知り合って20年、バイクが手元から無くなった…
月日が経つのは早いもので、娘も5歳になり幼稚園に通っている。少しずつ、自分の時間を持てるようになった。思い出したように書店でバイク雑誌を買い、家で眺めていた。
ある日、妻が、「あの時、バイク売っちゃって、ごめんね。あれから少しずつ貯めたお金。また、バイクを買って、かっこいいパパになって」と通帳を渡してくれた。開いてみると、かなりの数字が並んでいた。妻に「いいよ」と言ったものの、頑固な彼女は譲らなかった。そう、いつも彼女の判断は正しいのだ。
久しぶりのツーリングに胸が高鳴った。妻と娘が寝ている中、夜明け前に家を出た。小雨模様だったが、しばらく経てば雨が止むという予報を信じて出発した。次はいつ時間が取れるか分からないからだ。
キーを挿し込み、イグニッションをオンにする。メーターパネルが光り、異次元の世界に連れていってくれる予感に鼓動が高まる。
エンジンをかけ、ギアを入れた。
目的は無かったが、とりあえず海に向かった。ベイブリッジを渡る頃には雨も止み、きれいな朝焼けが見えた。この景色を眺められただけでも来たかいがあった。
「パパー。バイク、かっこいいねー」
バイクを買って家に乗って来た日、娘はびっくりしてそう言った。
「ねぇ、バイクって速いの?」
「うん。速いよ。羽根を付けたらお空を飛べちゃうよ」
「本当に。すっごーい。まるでヒーローみたい。パパは私のヒーローだね」
まるで、自分のことのようにママに自慢していたなぁ、と思い出していた。前を走っている車を抜く。さっと手を挙げて御礼の挨拶をする。
「そう、なんたってパパはヒーローなんだから、格好よくね」
やがて海が見えてきたので、パーキングで休憩を取った。
そして海沿いを走って、島に着いた。
まだ早朝だというのに、幾つかのお店は開いていた。
そこで、妻と娘へのお土産を買った。
少しづつ気温が高くなってきた。
さあ、そろそろ帰ろうか。娘も目を覚ました頃だろう。僕はヒーローだから、娘の憧れだから、格好よく、優しく、そして休みはたくさん遊んであげなきゃ。
家に帰って娘が駆け寄ってくることを想像して、ヘルメットの中でほくそ笑みながらバイクを帰路に向けた。
(ロケ地:湘南、江の島)